ファンタジーだと軽んじてはいけない「はてしない物語」

ミヒャエル・エンデは、「はてしない物語」の他、時間どろぼうを描いた「モモ」でも知られるドイツの児童文学作家です。「はてしない物語」が縁で、この書の翻訳者佐藤真理子さんと結婚しています。1984年に「ネバーエンディングストーリー」として映画化され、日本でも大ヒットしました。挿入歌の「ネバーエンディング・ストーリーのテーマ」もヒットしました。

児童文学とはいえ、文体も内容も大人向けであり、大人が読んでこそ、本当のおもしろさが理解できる本といえるでしょう。

≪本と映画とは別物です≫

映画は「はてしない物語」の前半部分を大きく改変してつくられたもので、特にラストはまったく別物となっています。続編の「ネバーエンディング・ストーリー 第2章」「ネバーエンディング・ストーリー3」は、原作とはぜんぜん関係のない物語となっています。

興行的には成功しましたので、その意味では改変は正解だったとも言えますが、原作とかけ離れた内容となったために、エンデが訴訟を起こすという騒ぎにもなりました。子どもでも楽しめるファンタジー娯楽作品にするためには、仕方のないことだったかもしれませんが、映画を観て本の内容を評価すると誤ってしまいます。

文体は児童文学にしては高度で、小学生では読むのが難しいといえます。高校生くらいにならないと読みづらいので、児童文学というよりも大人向けのファンタジーといった方が正解でしょう。文体がダークで難解なことから想像すると、エンデ自身も大人向けに書いたのではないでしょうか。

ちなみに、映画化に際してのエンデの希望は、監督は黒澤明、「幼ごころの君」という姫君役は日本人の白装束の少女というものだったそうです。主人公の乗る竜「ファルコン」は中国の竜のようなおどろおどろしく神秘的なものを希望していました。おそらく、子ども向けの楽しい映画ではなく、もっと重厚な演出にしたかったのでしょう。エンデ自身は教訓的なメルヘンをめざしていたとも言われています。

≪ファンタジーですが、哲学だともいえる内容です≫

物語は、イジメられっ子の少年バスチアンが謎めいた本屋で手に入れた本を読むうちに、実際に本の世界に入りこんでしまうことから起こる騒動を描いたものです。ファンタージェンというファンタジーの世界が、暗黒に乗っ取られつつあるのを救うのがバスチアンの役割です。バスチアンが信じる通りに物語が進み、実はバスチアンが世界を作り出しているということに気が付きます。

物語に入った人物自身が物語をつくっているという矛盾した世界こそが、エンデの考える宇宙の哲学なのでしょう。この物語の哲学性は「セスは語る」と共通している部分があり、発行年も近いことから、「セスは語る」の影響を受けて描かれた可能性が高いと考えられます。

ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」は、実に奥の深いストーリーです。児童書でありながら、大人でないと読めないような本であり、哲学書として読んでも面白い物語です。

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